日光、中禅寺湖の華厳の滝
s説明
藤村 操は北海道出身の旧制一高の学生。華厳滝で投身自殺した。自殺現場に残した遺書「巌頭之感」によって当時のマスコミ・知識人に波紋を広げた。ウイキペディア
日本の滝というサイトの写真をお借りしました。
http://www.japanwaterfalls.com/kegonnotaki.htm
そこからもう一枚;
「最近でこそ華厳の滝から身投げする人はいませんが、昔は自殺の名所だったそうです。これは一校生、藤村操が身投げする前に樫の木に刻んだ巌頭の感という遺書です」
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ウイキペディアの藤村操(ふじむらみさお)のページのガントウノカン全文を下に。
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遺書「巌頭之感」
藤村が遺書として残した「巌頭之感」の全文は以下の通り。
ホレーショとはシェイクスピア『ハムレット』の登場人物を指すとみられる(後述)。
「終に死を決するに至る」の箇所を「終に死を決す」としている資料が多いが、誤りである(右、木に彫られた「巌頭之感」写真の通り)。
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この文句は私の大学一年生の時の愛唱句でした。
哲学とドイツ語の時間しか出席せず、安保闘争にもまれて、聖書研究会や科学技術史研究会に入り自分の思想の確立に悩んでいました。
哲学の授業はプラトンの饗宴をテキストにされていまして、ソクラテスが自ら毒を飲み死を選んだことを知り、最後の感想文に「私は死ねませんでした」と書き優をいただきました。しかし、スピノザのエチカを読み、人間の感情の全ては自己保存ということを公理として数学の幾何学のように一つ一つ定理として説明されていることから、スピノザは自然を神と考えていると感じました。哲学の教授に「私はやはり唯物論が正しいと思います。」と告げたことを今では後悔しています
浪人時代には大阪の天王寺図書館でゲーテの「若きベルテルの悩み」が愛読書。ヒロインのロッテに憧れて最後はピストル自殺をするという話で、死ということが常に頭にあったようです。
小学6年生頃にはお正月の楽しさも薄らぎ、湯川博士のノーベル賞受賞があって、卒業文集か何かに博士になりたいと書いた覚えがあります。
その頃に鉱石ラジオの作り方の本を読み、ボビンにエナメル線を巻きバリコンと検波器にダイオードとして鉱石を使ってイヤホンで聴いて楽しんでいました。その本の付録にモールス信号の覚え方として語呂合わせの方法が書いてあるのを覚えました。例えば、イは・ーですが伊藤と覚える語呂合わせ方。これで覚えて後々アマチュア無線の試験で失敗しました。自衛隊の覚え方とかいろいろ良い方法を説明しているサイトがあります。
モールス信号の覚え方|日本語/アルファベット/数字/自衛隊-雑学王になるならuranaru
高校生時代には5球スーパーヘテロダインというキットをNHKから買って組み立てていました。テレビは壊れたテレビをもらって修理しようとした覚えがありますが成功はしなかった。
テレビの映像が人工衛星の中継でアメリカから始めて送られてきた時に、ケネデイー大統領の暗殺事件だったのは印象的でした。
思い出のよもやま話でしたが、私たち昭和20年前後生まれの世代の小学生の頃はラジオか映画館が娯楽の王様で、日頃は自転車でやってくる紙芝居屋さんからアメを買っって、絵を見て説明の話を聞いて満足していた時代でした。テレビは昭和27年頃からで、隣の電気屋さんや街頭テレビで力道山のプロレスをいっぱい人が集まって見ていたこともありました。ラジオは浪曲、映画は白黒で鞍馬天狗やターザン、西部劇。
映画が総天然色になり、テレビもカラー放送となり、1964年のオリンピックは家庭でテレビを見るようになっていた筈。
何を書きたいのかわからなくなりましたので、これにて失礼。
追記 2020/01/19 9:11
アマチュア無線では世界中に呼びかけて応答を待つ、呼びかけの文句があります。
とか、個人のコールサインでは、JA3… 忘れました。
終わりのさよならの言葉はモールス信号の場合は、73
です。
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