jiiji1941’s diary

日本の1960年末から80年代の奇跡、2000年代の奇跡の記録。

1968年から1983年の15年の私の経験

立石電気の制御盤営業部で1年半。営業は無理なので退職。8カ月失業。この間に自動車免許を取得。。新聞広告でオランダの商社日本支社に入社。事務機械部でヨーロッパの紙テープパンチャーとかカセットテープへの入力装置とかアメリカのスモールコンピューターを輸入販売の営業。後にフィリップ社の4ビットのマイコンの解説書を読み、256個の命令言語で1ビット単位のプログラムを作るソフト部隊に移籍。この頃に親戚の紹介で見合い結婚。

 

その後、10年程の間に事務機械部が独立して倒産。数年の間スモールコンピュータのユーザーのメンテナンスで生計を維持。生活が苦しくなり、転職。アメリカの似たようなスモールコンピューターを輸入販売していたトッパン印刷関連会社を紹介いただき、そのメンテナンスを担当。オランダの日本支社はなくなっていました。

オランダの商社時代にアメリカのロスアンジェルスとカナダのトロントへ研修のために一人旅、約2週間。トッパン関連会社時代に2度か3度ロスアンゼルスへ研修と出張旅行。このときは一人でデイズニーランドへ遊びに行く余裕がありました。

自慢話をひとつ。

トッパン時代にコンピューターのトラブルとして、画面の動きがおかしいことがありました。キーボードの左上のEscキーを押すと、画面のカーソルが1行下に移る現象です。これをアメリカに報告しても一向にらちが明きませんでした。

当時は画面のデイスプレイとCPUの接続はRS232Cという規格のケーブルでつないでいました。そのケーブルを流れる信号を記録する計測装置が当時の価格で100万円ほどするものを購入し、Escキーを押したときのケーブルの中の信号を記録しました。Escの信号の次にCR信号が出されていました。アメリカでそのトラブルを話すとOSの若い担当者はOSには問題はないと主張していたが、測定器の記録紙を見せると、すぐに修正作業にとりかかり、その修正バージョンのOSを持ち帰り、一件落着というお話です。

証拠がないとアメリカ人は納得しないということです。日本人も同じでしょう。