jiiji1941’s diary

日本の1960年末から80年代の奇跡、2000年代の奇跡の記録。

菅原 秀氏の高橋信次師との出会いの経緯

私の別のブログに標題の記事を2018年に書き記していましたので、その記事を転記します。

 

菅原 秀氏が初めて高橋信次の名を知ったきっかけ

2018.8.24 19:49 ポッポ
「巨星の実像」ページ88
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高木さんはある日、
「全国をまわってみて、山岡さんのような超能力者を探して歩く」
と言い残して旅立っていった。
ひと月経って、彼は元気な顔を見せた。
「いや、心が晴れ晴れとしましたよ。一番すごかったのが高橋信次という人でした」
彼は、高橋信次が書いた本を十冊ほどカバンから取り出した。
「初めてぼくに会ったのに、『あなたの研究は頭でっかちで、人生の役にたたない。心を磨くことが大事です』と、ぼくのやっていることを知っていたのには驚いたなあ。しかも、ぼくが自分の名前を言う前に、『あなたは高木謹介君だね。訪ねてくることは知っていたよ』と言ったのにはおどろきましたよ」
彼が取り出した『大自然の波動と生命』『緣生の舟』などという不思議なタイトルの本を見ながら、私は日本にも本物の超能力者がいたんだと驚いた。
人間は他人の頭の中をのぞくことはできないはずだ。ところが高橋信次は違うようだ。初めて会った人の名前や、考えを指摘することができる人が本当にいるのだろうか。私は、「近いうちにこの人に会いに行かなければならない」
と思い始めた。
高木さんを通して初めて高橋信次の名前を知ったのは昭和四十四年(1969)年の八月だった。そして翌年の五月、初めて浅草の八起ビルを訪ねることになる。
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1970年5月、八起ビルを訪ねた時の様子は以下の通り;
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2018.8.24 14:28 ミスド

「巨星の実像」ページ92
1970年5月、著者の菅原秀氏22歳が初めて浅草の八起ビルを訪れた時の話。
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「昨年、こちらを訪ねた高木君がいただいたご著書を拝見しまして、電話もかけずにお邪魔しました」
と話すと、
「あなたがやってくるのが見えていましたよ。今、あなたがやっていることはちょっと危なっつかしい。あなたはもっと勉強する必要があります。こっちへいらっしゃい」
と、私を集会所の隅にいた四、五人の人の輪の中に連れていった。私と同じくらいの年齢の人ばかりだった。
沖縄から来たという若い女性へのアドバイスをしている最中だった。高橋信次は、その女性の守護霊と話をし、さらにその内容をその女性に確認している。
どうも、この女性は体が不調だという。高橋信次はその女性をトランス状態に導き、その不調の原因を本人にしゃべらせるという不思議なことを行なった。
いろいろ質問したかったが、初訪問の私はそこで行われている事態が完全に理解できないので、黙って見ていた。
一段落したので、
「ひとつ質問していいですか?」
と言って、『大自然の波動と生命』の中に書かれていた内容について質問した。その本には、地球と人体の関係や、バイオリズムと数字の関係などが書かれていた。高橋信次のバイオリズム理論は、現在の私たちが知っている理論と違って、整数の組み合わせの計算手続きが大変面倒だった。数学に弱い私は、その本の数字についての説明がよく理解できなかったのである。
高橋信次は、
「上の部屋に行きましょう」
と言って、私を五階の彼の書斎に招いた。立派な机があって、ソファーが置いてあり、いかにも社長室という感じの部屋だった。
その机の上に、中学生が使う星座表のような形をした円型の道具が置いてあった。高橋信次はその道具を手前に引き寄せた。
「それは何ですか?」
「バイオリズムの計算器です」
「あなたの生年月日は? 生まれた時間はわかるかな?」
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その結果32歳で体が悪くなると予言され、実際その年にガンになったが西式療法で自力でガンを消滅させたとのことです。
高橋信次のバイオリズムの道具についての高橋信次師の言葉は以下の通り;
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iPadから送信
つづく
 
2018.8.24 10:17 上島珈琲店

高橋信次のバイオリズム計算機

「巨星の実情」ページ97
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高橋信次は、自分が作ったバイオリズム計算器で自分の将来の計算をしていた。
この計算器はわれわれが知っているバイオリズムと違って、潮の満ち欠けなどの天体と地球の関係も組み入れられている実に複雑なものだった。だから、SPIという三つの波の交わりだけを調べる現在のバイオリズム計算器よりもはるかに精確で、細かな予測ができたのである。
「この計算機を買った人は、どうも運命を気にしすぎて、運命を変えようとしないんですよね。努力すれば変えられるのに。僕の場合は、ほら、四十八歳の七月で、四つのリズムがゼロになっちゃうから、これを超えるのはとても難しいですけどね。あなたは、八十八歳の十二月に三つがゼロになる。それを越えれば 
次に危ないのは百二十四歳です」
「えっ、そんなに長く生きるんですか。いやだなあ」
高橋信次によると、運命は変えられるという。この計算器は、あらかじめ危ない時期を予測して、それに対応する心の修行を計画的に行うものなのだという。その器械が欲しいと言うと、
「もう作らないことにしたのです。悟りの役に立つようにと思って作ったのですが、計算した運命にひきずられる人が多いようなので、やめてしまいました」
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この道具の理論を書いてあったらしい本『大自然の波動と生命』をアマゾンの中古本で検索すると、驚くなかれ48万とか132万円の価格になっています。

 


追記 2018.8.25 20:24
菅原氏が高橋信次の名前を初めて知ったのは高木氏の旅から帰ってきた昭和四十四年(1969)で、そのとき縁生の舟の本を高木氏がカバンの中から出したとありました。
しかし、国会図書館で見たその本の奥付けには昭和46年1月15日 初版第1刷発行となっている。

 

縁生の舟のシリーズの最初の本が昭和四十四年に出ていたのかもです。

jiiji1941.at.webry.info

追記 2020.02.13 09:43

上の本の著者紹介として下のように書かれていました。

jiiji1941.at.webry.info

国会図書館より

残念ながら、「大自然の波動と生命」で検索しましたが一致するデータがありませんと出ました。
「縁生の舟」はありました。
その著者紹介の中に、著書として"「大自然の波動と生命」(GL.A.刊)"となっていますので、GLAの発行図書のようです。
 
画像

f:id:jiiji1941:20200213101504j:plain

著者紹介

 

最初の著書は「天使の再来」であったようです。