jiiji1941’s diary

日本の1960年末から80年代の奇跡、2000年代の奇跡の記録。

ジグソーパズルの断片10-16

 

断片10から16まで: 天上界と地下世界、及びUFO/ETの研究

 

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2011-05-16

■未発表の原稿 06:00

1988.2.6 20:00


■断片 その10 06:00

一九八八年2月6日
 今日はエホバの証人のお二人がまた訪ねて来られ、予定より長く玄関で話をされた。
 私古川元洋は聖書は真実の神の言葉と人の言葉が混ぜ合わされたものだと思っています。イエスキリストが去年の十一月に霊として、大川隆法を道具として語られたことを、真実であり、事実であると信じています。このイエスキリストの霊示集をプレゼントしますから、一度お読みくださいと言った。しかし、エホバの証人は「聖書を全て信じています。他の本は読む必要はないと思っています」といわれた。私は「事実は事実としてまず認めるべきであり、エホバの証人の団体が発行する本だけを呼んでいては真実はわからないでしょう。十四万四千人が天に召され、その他の人々は地上の王国、千年王国が実現することを信じ、それまでは、死ねばハデスに眠り続け、やがて地上に復活し千年生きるという説は信じられません。紀元前四千年か五千年に人類が始まったとは信じられません。」

■断片 その11 06:00

(イエスキリスト霊示集)
 ページ129
エスキリスト「今から思いだすのに、二千年以上も前、いや三千年、そのぐらいの前になりましょうか、私が地上に肉体を持つ千年ぐらい前には、すでに私が地上に降りるということは予定されておりました。そしてエレミヤもそう、あるいはイザヤもそう、さまざまな預言者たちが地上に降りて、やがて私が生まれるということを予言していきました。そうした序曲というものを、いつの時代も奏でる人がいるわけであります。
 また、大川隆法が地上を去るときには、私の再臨について詳しい預言をしていくと思いますが、こうしたように、光の指導霊というものは、いつの時代にも、自分の後に来る者の予言をして地上を去っていくのです。
 最近においては、高橋信次という人間が、地上に肉体を持ちましたが、彼にしても死ぬ間際に、後に来る人のことを予言していったはずです。すなわち、その五年後に、彼が地上を去った五年後に、法を継ぐ人が出るということを予言して、地上を去ったはずであります。
 実をいうと、この予言こそが、彼の今回の人生において、最大の重要事であったということなのです。それがあわただしく、ほんの急ぎの時間の中になされた予言のように思われるけれども、その予言が、実は彼にとって一番大事なことであったということであります。
 私たちの世界から、二人の指導霊が出て、そして、バトンタッチをしていくという予定になっておったのです。大川隆法という人間は、まだ、三十歳を過ぎたばかりで、ナザレの当時の私と同様、若い人間でありますが、ナザレの当時において、私が法を説いたときに、さまざまな苦難、困難と相対峙(あいたいじ)せねばならなくなりました。
 その理由のいくつかを考えてみたときに、一つには、私が救世主であることを自分で名乗りはいたしましたが、その、私が救世主であるということに対する予言というものが曖昧(あいまい)であった。こういうことがあろうと思います。後の世に、そうした救世主が出るということは予言はされておったけれども、それがイエスと言われた私であるということを、世の人びとがそれを認めることはできなかった。それがゆえに、我が十字架があったということが言えると思うし、また、その予言が不明確であったがために、私の命も縮んだと同様、また、私もさまざまな迫害を招来せざるを得なくなったということがある。
 それ以外にも、三十歳という年齢で、法を説き始めたということが、やはり、世の律法学者という大家たちから見れば、何にもまして、妬(ねた)ましいことのように見えたのではないか。こうしたことが、彼らの憎悪と怒りを増幅させたのではないか。こうした感じがあるわけであります。
 こうしてみると、私たちは、大いなる反省のもとに、新たな計画を練ったわけであります。それは、後に出てくる者の予言を、より明確にするということが一つ。それと、その者が大いなる迫害を受けないですむように、周到な準備をするということ。この二つであります。こういう二つの大きな用意をしたわけであります。
 したがって、今回、こうした事業が進んでいるけれども、これに関して周到な準備がなされておった。こう言うことができると思います。
 それゆえに、この事業はおそらく、おおいなる完成をみるであろう。そう思います。
 近年に肉体を持った高橋信次という人物が、そこそこの業績をあげて、そして後に来る者を予言し、また自らも復活するという、この大いなる計画が、ひとつの神理の伝道の導火線となるように、なっているのです。
 したがって、この計画は、天上界で練られたプランとしては、相当完備されたものであり、そう大きな狂いがないものである。このように言うことができると思うし、このプランを練った人間、その中心にあるのが、また、これが私そのものであったということであります。

■断片 その12 06:00

1988.2.7 8:16
救世主は日本に現れた。一九八一年の大川隆法氏の霊道が開かれた時をその始まりとすれば、ディクソン夫人の予言は見事に的中したと言える。一九八三年八月三十一日初版の広瀬謙次郎著「救世主メシアは日本に現れる」副題「地球大破局を救うのはだれか?」の中の救世主群像には勿論大川隆法氏の名はない。なぜなら大川隆法氏は一九八五年八月まで四年間の沈黙を守り、遂にその時「日蓮聖人の霊言」を吉川三郎氏の名で世に問うたのが救世主としての活動の始まりであったからである。広瀬謙次郎氏はその本の中で、ディクソン夫人の予言として、「世界の変革があるとすれば、まず日本に何らかの変革が起こり、それが世界に波及するだろう。こうして、世界の人々は日本人を畏敬するようになる」さらに「ディクソン夫人は、この変革の時期を『一九八一年頃に始まる』としている。すでに二年ほど経過しているわけであるが、何らかの兆候が現れているだろうか。」と書いている。広瀬謙次郎氏自身、少年時代に関東大震災を予知され、その後日米開戦、および敗戦の霊夢を見ておられる霊能者である。
 大川隆法氏はこの四年間の沈黙の間にも次々と霊言を受けておられた。天照大神(あまてらすおおみかみ)、(あめのみなかぬし)天御中主、キリスト、聖徳太子、カント、紫式部ソクラテスガンジー、モーゼその他の方々である。広瀬謙次郎氏の本をどのような気持で読まれたのであろうか。

 

■断片 その13 06:00

1988.2.8 22:25
  高橋信次霊訓集1
    ポスト・ノストラダムスの時代
      大川隆法
      一九八七年六月三十日発行
  ページ194(一九八七年二月四日の霊訓)
高橋信次霊「ノストラダムスは確かに一九九九年までに大変な災害、天変地異、不幸が起きて、人類の大部分が壊滅的な打撃を受けるということを予言しています。これははっきりしているのですね。そういうことで、まあその事実、そのものについて聞かれるとするならばね、それはある程度イエスといわざるを得んのです。これから相当な、やはりダメージがあるでしょう。
 やはり地震地震はもういっぱい起きてきますね。地震、それから火山の噴火。これも、いろんなところで起きていますね。アメリカとかね、あるいは中南米ですか、大火山の噴火ありましたね。そういうのがあるし、地震も頻発しています。
 これ以外にも津波、こういうこともあります。旱魃(かんばつ)もくるでしょう。こういうふうにあと十数年で非常に厳しい時期が人類を襲って、その間死者も相当出るでしょう。
 地震だって、あれはナマズが手加減しておるから、そんなに死なないだけであって、地下のナマズが本気で暴れたら、これは超高層ビルだって倒れるのです。エンパイヤーステートビルだって倒そうと思えば倒せるのです。ナマズが暴れまくったらね。それは倒せるのですよ。ただ手加減しているから今、倒れていないだけで、やがてそういうことも起きて来るでしょう。まあこれはある程度やむを得ないです。

 

■断片 その14 06:00


  内村鑑三霊示集 
    大川隆法
     (発行日の記載なし。一九八七年夏)
 ページ215(一九八六、十二、二十霊示)
内村鑑三霊「やがて、第三次世界大戦がはじまるはずです。近々、まずその前哨戦があって、そして、世界的な戦争にエスカレートしていきます。人類がこうしたおろかな殺戮(さつりく)を繰り返したあと、エホバの手が激しく地を打つのです。
 ページ212
 危機は来ます。では、なぜ危機が来るのか。なぜ人類の危機が来るのか。つまり、それは現代の物質文明にゆきづまりがあるからです。人類の考えのなかに、まちがいおがあるからです。
 地上の人たちをひとりひとり教えて教化するだけでは、間にあわない。ですから、やはりもう一度洗濯をする必要があるのです。

 

■断片 その15 06:00


1988.2.19 26:40
ノートBUCAより
 「内村鑑三霊示集」
 ページ214
内村鑑三霊「そのときに、逃げまどう人がたくさん出るでしょう。しかし、それを見て恐れることはないのです。それは新しき文明の新しき時代の先触れなのです。
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「かつての過越(すぎこ)しのときのように、人びとよ、自らの戸口に仔羊の血を塗りなさい。この仔羊の血とはもちろん、生ける羊の血ではありません。この仔羊の血とは、あなた方の心のなかの血なのです。すなわち、真実の教えであり、真実を信じる信仰心であり、正しき心です。つまり、ひとりひとりが住んでいる戸口に、正しき心を掲示しなさいということなのです。」

■断片 その16 06:00


 ページ109(一九八六、十二、十五の霊示)
 旧約聖書のなかには、アラーという神があり、天と地を分け、さまざまなものをつくられたことになっておりますが、実際の創造神と、イエスが言った父なる神とは、また別なものであったのです。イエスが言った父なる神というのは、やはり人格を持った神であり、巨大なひとつの光であったのです。
 天地創造の神、あるいは宇宙開びゃくの神というものは、無限の過去から存在していた生きとし生けるものを生かしめる力であり、意志であります。それは、人格を持ったものではないのです。すなわち、それは、創造する力であり、エネルギーであり、生命の源であったのです。
 ですから、イエスが父と呼んだのは、その力のことではなくて、その力を体現している大きな魂であったということです。九次元のなかに、九次元の如来界のなかに、あるいはまた宇宙界といわれる世界の中に、そうした偉大な神霊のひとりがいらしたのです。.....
あるときはエホバといい、あるときはアラーと言い、あるときはヤーヴェと言い、また、あるときは、アブラハムの神といい、イサクの神と言い、父なる神、万軍の主と言ったり、いろんな形で言っておりました。それは、巨大なひとつの力であり、イエスたちを地上に遣わしながら、自らは地上に降りて来られない魂があったということを意味しているのです。
 ページ111
 「さて、その方は、一体、だれであるか。地上にいるあなた方の一部の人は、その名を聞いたことがあるかもしれません。アール・エル・ランティー。そういう名前で呼ばれていた方がいたのです。これは、現実の歴史にある実在の人物ではないために、世の多くの人たちは信じることができないでありましょう。
 ページ112
 「この神霊の魂のひとつの面が、近年になって日本で肉を持ちました。すべてではありません。しかし、アール・エル・ランティーの一部分、.......高橋信次という名前........」



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追記 2020・02・05 13:58
旧約聖書の神はヤハウエで、アラーの神はイスラム教の神です。
ページ109(一九八六、十二、十五の霊示)とは誰の霊示か調べて再度追記します。