jiiji1941’s diary

日本の1960年末から80年代の奇跡、2000年代の奇跡の記録。

八起ビルの管理会社社長になるまで

再びウイキペデイアの説明を抜粋

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一方で、神秘世界の探求も行うことで「もう一人の自分」を求めたが、従来の宗教書はあまり読まずに独自の考えを続けた。その結果、「生と死」・「人生の目的」・「苦悩」、そして「それに対する祈りとは何か?」等、人生全体に対する疑問が増えて行き、知り合いの親しい仏教の僧侶に「あの世というのはあるのですか?」、「何故お寺を建てるのですか?」等と質問したが正直に応えるはずもない僧侶のはぐらかしに納得出来なかった。キリスト教会で牧師の説教を聞いたりしたが、「イエス・キリストを信じる者は、救われる」という話で、信じなくては救われない/地獄に落ちる、という教えに不合理さを感じ、離れた。また、キリスト教以外にも世界真光文明教団などいくつかの新宗教団体をも訪れているが、そのいずれにも納得が行かず、オリジナルな宗教の必要性を求めていったという。

1954年12月には、日本橋電気店で働いていた青果商の娘・一栄と27歳頃に結婚。1956年長女が生まれる。後の継承者、GLAの代表となる高橋佳子である。その頃から予言はほとんど的中する等のフレコミで人を集め、相談に来る人でアパートが溢れる事も何度かあったという。二度の事業失敗を経て、1962年(35歳頃)に個人商店として大田区大森にコンピュータ機器を開発する高橋電工を設立、1964年(37歳頃)に高橋電工を会社組織に改め高電工業株式会社を設立し[4][3]代表取締役社長に就任。同時に自身もハードウェアを開発する工員として医療器具製品を開発する。ほか、八起ビル管理株式会社社長、人道科学研究所所長等を兼務した。

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1968年

不思議な霊現象がこの年に始まった。

再度ウイキペデイアの説明を抜粋。

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1968年頃から霊現象が生じるに至り、義弟を通じて「ワン・ツー・スリー」や「フワン・シン・フワイ・シンフォー」と名乗る霊からの連絡を受けると、執着を捨てた安らぎの境地に到達した気分になれたという。その後、それらの霊魂は後のGLAの教義で言う「守護・指導霊」に位置付けた。「フワン・シン・フワイ・シンフォー」は、高橋の「守護霊」であるとし、後にイエス・キリストその人であると設定された。また、「ワン・ツー・スリー」と名乗ったとする霊魂は、高橋の「指導霊」であるとし、後に歴史上のモーゼ/ヘブライ人奴隷であると設定された。

その後、彼らからの指導を受けて悟りの境地に到達したと自負する高橋は、宗教家としての道を歩みその経験を著作として著し始めるとともに、人々の過去・現在・未来を見通すというフレコミ等で人を集め、また肉体を持たない「」を霊視(文字通り霊を目視すること)し、これとコミュニケートしたり、人々についているという霊を取り除いた(ただし、「神理」を口説き、その非を悔い改めさせるスタイルがメインであった)等と、自身の講演会において数多くの奇跡を残したと自画自賛した(高橋信次『心の発見 現証篇』参照)。

古代エジプト語ヘブライ語、5世紀の中国語、古代マガダ語マガダ国)等を少しは話せるとしたが、高橋は、これらはあくまで人々を救うため、天上界で予め約束されていた(また証明としての)「方便/布教」であるとし、特に興味本位的に過度にとらわれることを嫌った。

これらは、モーセの時代にも、イエス・キリストの時代にも、ゴータマ・シッダールタ釈迦牟尼仏)の時代にも、現れた現象だと設定されている。また、仏教、ユダヤ教キリスト教、は天上界(いわゆる「あの世」において特に調和された世界とされる。以降を参照)の指導によって作られたものであり、その精神は、「法」(自然の法則、宇宙の法則)に発するものであり、時代背景によってモディファイされているが本質は変わらない、GLAも同類であるとした。

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ウイキペデイアによると;

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 GLAについて[編集]

高橋がイエス・キリストモーセとの出会いを経て悟りの境地に到達した、という口コミに引き寄せられた人が自宅に招かれた。当初は毎週土曜日に集まっていた為に、「土曜会」と称していた。

1969年4月頃からそれらの人々が百人近くに増えた為、都営浅草線浅草駅近くの自身の所有する八起(やおき)ビルで説くようになった。当時、この団体を、「大宇宙の神の光というものを顕現する会」という設定で、「大宇宙神光会」と称していた。

その後、大阪にあった瑞法会教団(霊友会支部が竹本千代を会長として分派独立。竹本没後、次長の中谷義雄が会長となり、高橋を瑞法会教団に招聘した)が集団帰依・合併するに至ったことを契機に宗教法人となり、名称を「宗教法人ジー・エル・エー総合本部」、略称を「GLA」とした。また、瑞法会教団は高橋没後に見解の相違から離脱、「宗教法人GLA関西本部」となった。

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GLA関西本部という名でユーチューブに高橋信次講演会の録画が数多くアップされている。

 

ユーチューブ GLA関西総合本部 - Google 検索

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GLA関西のユーチューブ

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総合本部というのは高橋佳子女史のGLAで関西はGLA関西本部でした。

 

心行、祈願文 | ハッピーネット 新しいスピリチュアルとの出会い

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GLA関西本部
GLA関西本部では、毎月第二日曜日に開催される集会においても、この秋季研修会においても、必ず行事を行うに前には、次の「心行」、「祈願文」の読誦から始めます。
 
「心行」、「祈願文」は、会員が持ち回りで、読み上げられます。
そして、ひな壇で話をされる方は、必ず、壇上の右上に掲げてある「高橋信次先生」の写真に、軽く会釈をされます。
 
高橋信次先生は、1976年6月に、天上界に戻られました。
その後、GLA総合本部を、信次先生の娘である高橋佳子先生が引き継がれました。
 
しかし、高橋佳子先生の時代になり、この「心行」、「祈願文」は、あまり読誦されなくなりました。
 
GLAにご縁のある多くの人たちは、GLAが、高橋佳子先生のGLA総合本部と、GLA関西本部の二つに別れているたという事実を、意外とご存じないようです。
という私も、今年の4月までは、GLA関西本部が、総合本部とは、独立して存在していることを知りませんでした。
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