jiiji1941’s diary

日本の1960年末から80年代の奇跡、2000年代の奇跡の記録。

遺書ー15

私の遺書ー15 第二章 愛の山

参照
https://jiiji1941.at.webry.info/201905/article_14.html


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2011-06-21 <バス転落事故のその後>-11/<第二章 愛の山>-2
 由美は今十四歳。マンガ博士ですね。愛と涙の物語りをたくさん読み、ビデオで見て知っているね。お父さんも、知っている話はたくさんあるけど、今一番大切だと思う話から始めよう。 また、丹波先生のバス事故の話。あの中に高校生もいたんです。その高校生の話が今一番、由美にとって大切だと思う。アメリカの女優、シャーリー・マクレーンさんの話も大切だと思うけど、もっと大きくなってから話をしてあげようと思っている。
 では、”男子高校生の死の体験ーー
      大岩宗勝の場合ーー”の話です。
ページ92
 「五日後に迫った運動会のポスター書きや飾り付けの準備のために放課後遅くまで居残り、たまたまこのバスに乗り合わせました。しかし、前から想いをほのかに寄せていた女子高校生の南川弘子に会えたのは収穫でした。超満員のため自然に南川弘子のしなやかな体が押し付けられてくることが嬉しくもあり、当惑もしました。何か話しかけねばという脅迫観念に襲われて、「やっぱし、運動会の準備で遅くなったんかい」という言葉を口の中でごそごそと言いましたが、聞き取れなかったらしく「えっ」と訊き返されました。今度は何を言おうかと考えていると、カーブに差しかかったらしく、体が左の方へ大きく傾きました。その瞬間、南川弘子が突然かなきり声をあげました。あっという間もなく体がバランスを失って宙に浮き、強い衝撃を受けると同時に恐ろしい音がしましたーーそして一瞬のうちに、しかも猛烈なスピードで暗いトンネルのような空間を通り抜けているような感じがしました。それから気がつくと、見る影もなく破壊されたバスの上、二、三メートル程の高さのところに漂っている自分が判りました。薄闇の中にも河原に放り出された惨(むご)たらしい
死体が幾つも散らばっているのが見え、重傷を負ってうめいている人も見えました。更には潰(つぶ)れた車体の下になっている自分の体もはっきり見てとれました。両足は捻(ねじ)れていて、あたり一面は血の海でした。そして、直ぐ隣合って南川弘子の死体があるのにも気付きました。もっと折り重なれば良かったのにと思い、すぐ隣り合わせているだけでもいいやと思いなおしました。すぐには気付きませんでしたが、自分と同じようにバスの上、二、三メートルあたりを漂っている乗客がたくさんいました。後ろを振り向くと南川弘子も事故の前と少しも変わらない姿で浮かんでいました。何だか夢を見ているようなきがしました。」
 
 いかがかな。大岩君はエッチかねえ。

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2011-07-09 <バス転落事故のその後>-11/<第二章 愛の山>-3
死んでも同じことを考えている。男の考える事はそればっかりなのかねえ。まあ、それはそれとして、自分の死体を自分が見ている気分は夢なのか、現実なのか。事実なのか。主観的事実はこんな感じだろうと思う。客観的には新聞に載っている写真のように、大岩君も、南川さんも写っていない。由美の好きな心霊写真でも残っていれば、準客観的事実として誰でも納得できると思うのに、残念ですね。 この話の続きが大切なところで、例の宝の山にとりつかれた小松じい様が報告してくれています。それによると、バス事故の犠牲者二十五人があの世で集まってデイスカッションをしたそうです。
 ページ88
 後藤一郎の家族が寄り固まっているのと、恋人同志である荒井潔、佐多千鶴子そして千鶴子の許婚者の松木耕策が並んで座っているほかは、みんな互いに牽制(けんせい)しあってでもいるかのよううに、壁を背にてんでんバラバラの座を占めていた。高校生同志の南川弘子と大岩宗勝も、時おり、互いに視線を合わせるだけで、はなればなれの場所にいた。
 誰ひとりとして大声で話すものもなく、重苦しい沈黙が部屋の空気を澱(よど)ませていた。
 その中にあって、ひと足早くこの世界に渡った野村時枝だけが、ひとり泰然自若としているように見えた。(事実、顔ぐらいは見知っているはずの私に注意を向けて、黙礼したのは彼女だけだった。他の人間は、私も事故死者のひとりと思ったのか、それとも自分のことで精一杯で他を見る余裕がなかったのかもしれない)。
 私の推察するところによると、一同二十五名(二歳の野村政明は別としても)の心に重くのしかかっていたのは、自分が本当に死んだのかという迷いと、同じバスに乗り合わせて事故に遭った人間が、こうして一カ所に集められたあと、どうなるのかという不安であるに違いなかった。恋人同志である荒井潔と佐多千鶴子ですら、こうした内心の思いを相手にぶつけてみたいと思いながらも、なぜか口に出すことがはばかられて、せつない視線を交わし合うだけの様子だった。
 部屋の隅から、いわば第三者として見ている私までが、この場の空気に居たたまれなくなってきたころ、扉が突然スッと開いて、白装束の人物が姿を現した。
 アッと私は危ういところで声を挙げるところだった。それというのも、私が少年時代に神賀山で出会ったお遍路姿の人物に相違なかったからである。
つづく

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