jiiji1941’s diary

日本の1960年末から80年代の奇跡、2000年代の奇跡の記録。

遺書 8

ブログのトラブル等で中断していた私の遺書(遺言)の続きを以下に記します。

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私の遺書ー8

参照
https://jiiji1941.at.webry.info/201905/article_14.html

 

http://d.hatena.ne.jp/jiiji1941/20110603

 


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2011-06-03 「霊界旅行」3=未発表の原稿ー1
(6月2日のつづき)
(ここから、私古川元洋の未発表の原稿の第一章、が始まります。)
 
 第 一 章  宝の山
 娘の由美よ、由美が小学生の頃、クリスマスになると、サンタクロースのプレゼントを楽しみにしていたね。何年生まで信じていたんだろう。どうしてウソだとわかったのか思い出せるかな。中学生でもまだ信じている人がいるだろうか。
 今日はクリスマスじゃないから、サンタの話より宝の山の話をしよう。ウソか本当か、信じるか信じないかは由美の自由だ。お父さんは信じているんだけど。とにかくどんな話かさっそく始めるとしよう。
 
 四国の高知の山奥に神賀山という山があり、その近くに物部川という川が流れています。その川へ、昭和二十五年十一月七日に満員バスが転落した事件がありました。例の百年カレンダーで見ると、一九五0年十一月七日は火曜日だ。その日はお祭りだったそうで、いろんな人が乗っていた。赤ん坊から恋人同志、サギ師やヤクザさんまで、即死した人や病院で亡くなった人もいた。新聞にも載ったんだけど、山奥のことだし、当時はテレビもなかったから、報道されたのは二日後の十一月九日木曜だった。朝日新聞とか高知新聞それに日経新聞にも載っているからこれは事実です。朝日新聞の記事をそのまま書いておこう。マンガのある三面の小さな記事で二十行位しかない。

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朝日新聞昭和二十五年十一月九日木曜日)
 即死32重傷27
   高知でバス転落
【高知発】七日午後六時五十分ごろ国鉄バス大栃線の土佐山田発大栃行(運転手XXX(二一)=高知県香美郡○山村)が、高知県香美郡美良布町橋川野附近の県道から約五十メートル下の物部川に転落、自動車は大破し、即死三十二名、重傷二十七名、軽傷四名をだした。同日は通学、通勤者の他山田町の秋祭りで乗客は平素の二倍近くの満員で、乗客の話では運転手も祭りの酒に酔っていたという。
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 これだけ。まるで酒酔い運転手が悪かったような書き方だけど、本当は違うんです。どうしてわかるかって、それはね、不思議な話だけど、事故の起こる直前に、その事故現場の杉の木のテッペンの小枝の上に連れて行かれたおじいさんが居て、事故の一部始終を見たのです。それを息子さんに話をして、密かに日記としてノートに書いていたのです。それを読んだ人が本に書いて出しているんです。有名な俳優の丹波哲郎さんです。その本から写し書きしてみよう。

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 「私(小松じい様)が家を出たのは確か午後四時過ぎのことでした。夕食前に”御陵”にお参りしようと思って出掛けたのです。これは、もう穴を掘るのを中断してしまったこの数年来、日課にしていることで、朝夕二度は必ず訪れるのです。私の家から”御陵”までは、年寄りの足でおよそ二時間程かかります。従って”御陵”に到着したのは午後五時頃だったと思います。(注古川:六時の書き間違いだと思います) 祭壇はいくつも掘った穴のうちで、一番深い十間(約十八メートル)程の穴の底におまつりしてあります。年寄りの身でそんなに深い穴の底まで降りるのは苦労だろうとおぼし召すかもしれませんが、何もロープや縄梯子を伝って降りる訳ではなく、ちゃんと段々をつけてあり、十七年も行ったり来たりした我家の庭みたいな処ですから全く苦になどなりません。
 
つづく

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