jiiji1941’s diary

日本の1960年末から80年代の奇跡、2000年代の奇跡の記録。

遺書ー17

私の遺書ー17 ■<第二章 愛の山>-6

参照
https://jiiji1941.at.webry.info/201905/article_14.html

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2011-07-18 <バス転落事故のその後>-11/
■<第二章 愛の山>-6 15:47

1988.3.13
24:10
家族で死んだ主婦の死の体験ーー後藤邦子の場合ーー
 昨日の夜、京大に行っている長男の洋一が正月以来、十か月ぶりで戻ってきた。夏休み中はアルバイトで忙しいと言って戻ってこなかったから、一家四人が揃うのは久びさだった。やっぱり土佐のカツオのたたきはうまい、と大人っぽい口調で言いつつ夫と酒を酌み交わす姿を見るのは嬉しかった。夫も同じ思いだったらしく、今日はわざわざ勤めを休んで、夕方から家族そろって美良布神社の神祭に出かけようということになった。特に娘の明美は大喜びで、学校から帰ってくるなり、晴着を着ていくから出してくれとせがんだので、着付けをするのにだいぶ手間どってしまった。
 バスに乗ると、途中で前のバスが故障したとかで大勢の人間が乗り込んできて超満員になってしまった。娘のせっかくの晴着が台無しになりはしないかと心配になって後の座席を振り返ると、久しぶりに逢って甘えているのか、長男の肩に寄りかかって無邪気に眠っていた。余りにほほえましかったので、ほら、お父さん、と隣に座っている主人にしらせようとした瞬間、車体は大きく左へかしいだ。あわてて主人の腕につかまったが、凄い勢いで投げ出され、後頭部に激痛が走った。キーンキーンという金属を叩くような耳障りな音がし、真っ暗な円筒状のところをズンズン上昇していった。そこを抜けると、バラバラになったバスの車体が見え、自分の体はその二、三メートル上空に浮かんでいるのが判った。前にこんな場面を映画か何かで見たように思った。
 深い沈黙が辺りに広がっていった。やがてあちらこちらからすすり泣きに混じってため息がもれてきた。
ーーじゃあ何か、俺達はやっぱり死人、幽霊だという訳かよ、クソ面白くもね!
 ヤクザ風の男が不貞腐れたように言った。
ーーあなた方は最早人間ではなく精霊である。この世界にとどまりながら、人間界で身に付けたあらゆるアクやしがらみを脱ぎ捨て、”素”(す)の状態になった時、あなた方は究極の目的地である霊界のそれぞれの村へ旅立つ機会が与えられることになります。
ーーつまり簡単に言うと、一体いつ迄私達はここに押し込められることになるんでしょうかね。
 紳士風の中年男が今度は真顔で尋ねた。
ーーその旅立ちへの準備期間は、それぞれが人間界で身にまとったアクやしがらみの嵩(かさ)に応じて違ってくる。早い者は明日にでも霊界へ渡れるかもしれない。また、遅いものは、二十年も三十年もここにとどまるかもしれない。
ーーどうすれば早く、そのもうひとつの世界へ行けるんでしょう。そのへんのコツをひとつお教え願えないもんでしょうか。
 県職員の海野亮一がメガネをずり上げながらそういうと、一同がドッと哄笑した。
ーーいくら言葉を弄(ろう)して説明しても、この真理や仕組みは、容易には判らないだろう。ほどなく、あなた方自身で体験していくうちに判ってくることだから、これ以上は語るまい。
 さて、その第一歩は、前世の自分の裸の姿を一部始終心の鏡に映し、己れが何ものかを知り尽くすことだ。
 そう言い終るとほぼ同時に、部屋の中が急にパーッと明るくなり、天井の方から、やはり白い装束を身に纏(まと)った霊人たちが次々と姿を現した。その現われ方が余りに流麗であるため、一瞬、部屋の天井から滝が流れ落ちてきたと錯覚させたほどだった。
 一同は霊人たちに伴(ともな)われて、あの丘の天幕へ連れて行かれた。”過去のすべてを映し出すスクリーン”にひとりひとりかけられるに違いない。
 既にその”儀式”を終えている野村時枝だけは幼児を胸に抱いたまま、みんなとは別の方向へ姿を消したようだった。
 私は一行二十三人の跡を追いかけることにした。
 雲のスクリーンに映し出された二十三人の人生ドラマは、一種壮観でもあり、空恐ろしくもあった。どんな小説や映画、芝居もこうは考えつかないだろうと思われるほど、独創的であり、真実だけが持つ迫力で私を圧倒した。

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